壮大な夢に向かって 55歳で脱サラを決意!
アマチュア最高峰の全国サッカーリーグ「JFL」、その上のプロリーグ「J3」入りを視野に今季からチーム名を変更し、新たなスタートを切ったブリオベッカ浦安(旧浦安サッカークラブ)。生半可な気持ちでは目標に立ち向かえないと、昨年11月末、代表自らサラリーマン生活に終止符を打った。
「大卒の選手でも給料ゼロ。社会人としての選択肢をやめてサッカーを選んだ選手や監督が、チームのために命をかけて取り組むというのに、代表の私が会社勤めをしているわけにはいかない」
55歳。退路を断っての壮絶な挑戦だ。
「サッカーが盛んな埼玉で育ち、中学生時代はサッカー部員。父親の転勤で福島県へ行ったらサッカー部がなくて、子供ができたらサッカーをやらせたいと小2で浦安ジュニアチームに入れた」
そこで目の当たりにしたコーチの指導理念に心を打たれ、クラブの代表に立候補して、10年目を迎える。
「目先の勝ちにこだわらず、ジュニアからトップチームまでを見据えた選手の育成。早いうちに選手のポジションを決める多くの少年チームと違い、徹底的に基礎技術を教え、高校生くらいで花を咲かせる選手に育てる欧州スタイルのクラブ運営。”目からうろこ” が落ちる思いでした」
欧州スタイルを導入して成長した国内プロチームはまだ少ないが、ブリオベッカには浦安ジュニアで育ち、トップチーム入りしているメンバーがすでに存在して、今後に期待を持たせている。
ブリオベッカの陣容は、トップ選手29人、中学高校生100人以上、スタッフ10人。「後援会はできましたが、観戦料をいただかないアマチュアチーム。台所は支えてくれているスポンサーが頼り」と、企業探しに明け暮れる。
選手の多くは午前中練習、午後はアルバイトという厳しい生活に耐え、サッカーを続けている。
「ですから4月オープンした浦安市の陸上競技場はチームにとって代えがたいプレゼント。我々の午前中練習にはまだ使えていませんが、ホーム試合でも遠征していたことを考えると市内で試合が出来るメリットは大きく、市に感謝しています」
感謝はもう一つ。
「東日本大震災で練習場所に苦労した時期を乗り越え、サッカーを続けられ、今日あるのは多くの人たちのおかげ。クラブは今、サッカーを通した恩返しをしようと “市民を笑顔にする” 目的に向かって、一丸となって取り組んでいます」