障害に向き合い、ポジティブに生きる
ユメは翻訳家
中学生が日常生活を通して豊かな人権感覚を身に付けるのが目的の人権作文コンテストで、『ぼくの生きる道』と題して昨年末、法務大臣賞を受賞したのが13歳の想さん。
書き出しは「ぼくは障害者だ。なぜって?わからない。うまれつきそういうことになっていた。今は何とか歩けるが、体のバランスを取るのがすごく難しいし、字が書けないという致命的なハンディキャップを抱えている」―。
受賞報告に訪れ、松崎秀樹市長から「全国約97万通から千葉県内(の応募作品)で初めてベスト3に入り、おめでとう。素直な文章で感動しました」と祝福された。
母親の裕美さん(37)に促されて想さんは「(内閣総理大臣賞に次ぐ)全国2位の賞を取れると思っていなかったので、すごくうれしい」と全身で喜びを表した。
3人きょうだいの次男。脳性まひの後遺症で、つかまり立ちで歩けるようになったのが4歳。小学2年まで車いすだったが、リハビリや体の成長で「バドミントンなどのスポーツができるまでになった」と裕美さん。
入賞作品で触れているのが一昨年(小学6年)の初めてのサーフィン体験。「(略)ボードから始め、初めて立つことに挑戦。もちろん失敗。何回も落ちて、溺れそうになって、這い上がって辞めたくもなったが、コーチは諦めることを許さなかった。『障害に甘えるな、やれば出来る。お前なら出来る』…コーチが『いい波が来た、いけるぞ、想』と叫んだ」
「…ぼくは、全身の力をひざと足に集中させて立つ。立った。生まれて初めてのスローモーションだった。このぼくが波に乗ったんだ!」
さらにこう言葉を継いだ。「頑張れば出来るんだ。障害なんて関係ない、要は自分がやるか、やらないか、出来ないことなんて何もない、もう何も怖くないぞ、とこの経験でそんな自信を得ることが出来た(略)」
作文が好き(裕美さん)だが、想さん自身は字を書くのはむずかしいので、入選作はアイパッドやパソコンのワードで一文字一文字ゆっくり、言葉を紡いだ。
そして作文をこう締めくくった。「障害があろうがなかろうが、ぼくらしく生きていく。時に少しブサイクだろうが、それがぼくの生きる道だ」。
将来のユメは「得意な英語を生かして翻訳家を目指したい。『三銃士』が好きなのでアドベンチャー系の作品になるかも…」と力強く話してくれた。