東京パラリンピック大会で、車いすバスケットボール男子日本代表チームのヘッドコーチを務めた京谷和幸(きょうや・かずゆき)氏(50)=浦安市在住=が、9月27日、内田悦嗣市長を表敬訪問した。
京谷イズムを浸透させ、見事、銀メダルを獲得
内田市長から花束と浦安市特別表彰の表彰状を贈られた京谷氏は「今大会、車いすバスケは全試合がテレビ放送され、パラスポーツの中でも花形となってきたことは、とてもうれしい。銀メダルはスタート地点で、今後も高みを目指していきたい」と抱負を語った。
内田市長は「京谷さんは長年、選手として車いすバスケを牽引してきました。市はこれからも、車いすバスケを含めてパラスポーツの素晴らしさを発信していくつもりです」と述べた。
これに対し、京谷氏は、ヘッドコーチのやりがいについて「2020年2月に就任して、パラリンピック開幕まで半年で何ができるか、と思いましたが、コロナ禍で1年延期となったことで、『ディフェンスで世界に勝つ』『1・5倍の運動量』『トランジション(攻守の切り替え)バスケの遂行』という京谷イズムを浸透させることができました」と喜びを語った。
京谷さんが、車いすバスケを知ったきっかけは浦安市役所だった、という。「Jリーガーだった28年前、運転中の交通事故で葛南病院(現・東京ベイ・浦安市川医療センター)に入院。妻が市役所に障害者手帳を申請した時、福祉課(当時)の窓口にいた人が、小瀧修さんでした」と、当時車いすバスケのトップチーム『千葉ホークス』の中心選手だった小瀧さんとの出会いを語った。
病院で車いすバスケを始め、千葉ホークスに入団、2000年のシドニー五輪のパラリンピック代表にも選ばれた。その時のヘッドコーチが、また小瀧さんだった。
今後の活動については「障害のある子どもたちが進む道を見つけられるように、と『きっかけプロジェクト』をスタートさせました。車いすバスケに限らず、ボッチャやフェンシングなど、自分で見て知って感じて、できると思うスポーツを見つけて、それを始められるようにつないでいく活動です」と強調した。