週末の朝、浦安市カヌー協会会長、三浦寛さん(79)が市内を流れる境川にやって来た。カヌーを保管している新浦安地区の艇庫から愛艇を運び出し、川面に浮かべる。仲間とともにカヌーを漕ぐ。太陽の光を浴びてすいすいと快走する。気持ちよさそうだ。
北海道・増毛町で生まれ育った。上京して東京都内の会社で仕事を続けた。少年時代からカヌーとは無縁の人生だった。
転機が訪れる。50代で関西方面を旅した。木津川上流でカヌー製造所を見つけ、たまたま立ち寄った。
「カヌーを見たんです。かっこよかった。その場で衝動買いしました」と笑顔で振り返る。カヌーを川に浮かべ、初心者向けの指導を受けた。そのまま、愛車に積んで浦安に帰宅。こうしてカヌー人生が始まった。地元の境川や東京湾などで愛艇を漕ぎ、腕を磨いていった。
そして日本一周の旅を決断した。61歳だった。
「会社を定年退職し、自由な時間がたっぷりあった。2年もあればなんとか日本を一周できるだろうと思い立った」と語る。
平成13年1月1日朝、愛艇にテント、調理道具、寝袋、着替え、食料などを積み込んだ。仲間の見送りを受け、境川を漕ぎ出した。あいにくの天候不良。東京湾に出ると、猛烈な風が吹いてきた。覆い被さるような大波が押し寄せてくる。頭から海水をかぶった。散々な船出だった。
太平洋に出て、西に向かった。危険を避けるため、遠洋には出ない。肉眼で陸地が見えるルートを進んだ。朝、出航して午後早めに目的地に上陸する。テントを設営し、買い出しに出かけ、夕食の支度に取りかかる。「力ラーメン」を作る。即席ラーメンにモチを入れ、卵を落とす。うまい。明日に向けて力がみなぎってくるという。
九州に到着した。
「九州の人は人情が熱い。上陸してテントを設営していると、『俺の家に来い』と声を掛けられる。風呂に入り、夕ご飯をごちそうになった。翌朝は弁当まで用意してくれる。ありがたかった」と笑顔で話す。
日本海を北上。北海道・宗谷岬を周り、東北地方を経て10月に無事、浦安に帰還した。
「終わった。日本を一周した。仲間が祝福してくれました」
平成23年3月、東日本大震災が発生した。翌年春、カヌーで東北地方に向かった。「日本一周の旅でお世話になった人たちが無事でいるのか。すこしでも励ますことができれば」との思いだった。被災地の海岸はがれきの山だった。知人の消息はつかみようがなかったという。
カヌーの魅力について「自然の中で過ごせる。海は自由です。世の中のしがらみから解き放たれる。自分の技量次第で好きなところへ行ける」と語る。
行政に対して境川などの水辺に桟橋を設置することを望んでいる。そうすればカヌーやボートを利用しやすくなる。日焼けした三浦さんは「浦安は都心に近く、海と川に囲まれている。市民が水上スポーツをもっと楽しめるようになれば」と願っている。