地域の歴史を正確に残すため 地元の園児に紙芝居を披露
「トモじい、何してるの?」「どこへ行ってきたの?」――。子供たちは姿を見ると、大きな声で駆け寄ってくる。”トモじい” とは前田智幸さん(73)のことだ。
いつもニコニコと柔和な笑顔で、見るからに好々爺。手作りの紙芝居を携えて、幼稚園に出向く。着くと、園児たちが一斉に抱きついてきて、しばらく大騒ぎだ。それから “トモじい” 制作の紙芝居が始まる。子どもたちは、食い入るように紙芝居を見つめ、語りを聴く。こんな楽しそうな情景が時折、入船地区の保育園や幼稚園で繰り広げられている。
「やまねことどんぐり」も紙芝居用にアレンジ。完成までに100回以上も書き直した。前の年に制作したものでも、更に書き直していく。絵もそうだ。子どもたちを念頭に、今年の子には「こうすると分かりやすいかな」と子どもたちの顔を思い浮かべながら、手を入れていく。「常に新鮮なものでなければ」と妥協はない。
また、前田さんは「地域の歴史は正確にきちんと残しておかなければならない」という信念から、浦安の歴史に興味を持っている。
「自分たちの住む浦安はどのように造られたのか、先人はどんな苦労をしてきたのか、長い間漁師をしていた人たちは漁場がなくなってどうなったのか、そこに住む人々のストーリーを盛り込まなければ、語りの歴史書にはならない」
そういう思いで今、取り組んでいるのが『近代の浦安史』だ。「それをきちんと伝えていかなければならない」と力を込める。
総面積の4分の3は海を埋め立ててできた浦安だ。そして、「ディズニーランドが造られたところは海だったんだよ」と話すと、「えーっ!」とびっくりする子や、「おじいちゃんから聞いたよ」と話す子もいて、しばらくは大騒ぎになる。
その後、子どもたち200人全員が「感想文」を書いてきてくれた。「感激しました」と柔和な笑顔がさらに崩れた。
前田さんの肩書は「郷土研究家」だ。昭和39年に富山県から「就職列車」で上京し、秋葉原で就職。43歳で退職した後、「中小企業診断士」に合格。現在では優良企業に名を連ねている「富士環境システム」だが、設立当時は技術開発費がかさみ1億円の借金で青息吐息だった。そこの経営を任されたのだ。売上代金の取り立てにヤクザのところに乗り込んだ武勇伝も残る。
そんな企業戦士の経歴も持つ前田さんだが、歴史に興味を持つようになる。昭和33年、本州製紙工場が廃液を垂れ流していた「黒い水事件」が起きる。平成11年、乏しい資料をもとに、あちこち足で調べあげて『いのちがけの陳情書』を出版した。
現在は、入船の堤防脇の空き地に花壇を作って季節の花を植えている。水やりや植替えは幼稚園児も手伝って、年中花を咲かせ道行く人を和ませている。1年の内、春の2カ月と夏の1カ月、晩秋の1カ月は富山県の山で、1人で暮らす。約100年前、先祖が建てた古い建物を改装し、山を手入れしながら風を友として過ごす。
「何事にも精魂込めて一生懸命」。その後姿で地域の子どもたちを育てている。奥さんと娘さんはそんな〝自由人〟を寛容に見守ってくれている。