新緑が美しい浦安市役所前の敷地に明るい陽光を浴びて、大きな石碑がすっくと建っている。明治時代に日本とロシアが戦った日露戦争(1904〜1905年) 記念碑だ。
日露戦争後、浦安村(当時)では日本の勝利を記念するとともに、出征軍人の武勲を後世に伝えようと記念碑を建立する機運が高まった。村議会が開かれ、建立が決定した。
3人の村会議員が、東京の乃木希典(まれすけ)陸軍大将の邸宅を訪れた。乃木大将は日露戦争で旅順要塞を攻略している。石碑題字の執筆を依頼したところ、乃木大将は快諾した。「明治三十七・八年戦役記念碑 希典書」と、したためた。
後日、村会議員がお礼に浦安名産のハマグリを持参して再訪すると、乃木大将は「国家のために尽くした人たちに報いるために執筆したのだから、受け取るわけにはいかない」と語ったと伝えられる。
記念碑は浦安尋常高等小学校に建立された。その後、中央公民館前に移されていたが、平成30年、忠霊塔に隣接する現在地に移築された。
石碑の裏面には日露戦争の戦死者、病死者、出征軍人の氏名が刻まれている。