市制施行40周年おめでとうございます。私が伝えられる浦安町はセピア色の世界。当時の記憶を、同年代の友人と共に思い出し書いています。
猫実、堀江を結ぶ新橋の堀江側には2階建ての浦安町役場が、昔懐かしい建物で建っていました。その周りは夜になると、今で言うモノトーン。セピア色の外灯で賑わっていました。境川は今より狭かった気がします。境川の様子は昔の写真で市民の皆様が見られているものそのものです。
役場の南側にはフラワー通りが賑わいを見せていました。フラワー通りには風呂屋さんが3軒、パチンコ屋さんが2軒、映画館が2軒が健在していました。今もそうですが用途地域としては近隣商業地域で、葛西や行徳からも人々が遊びに来て、それはそれは賑わいを見せていました。タケシの元気が出るテレビの撮影地にしばらくなっていたのが記憶に残ります。
バスも都バスや京成バスが庚申様経由で豊受神社まで走っていました。道路幅は今とそう変わりません。なのでバス自体が小さかったと思います。バス通りの一本裏は田んぼ、畑、小川、蓮田で形成されていました、今では考えられないです。
そのほか、浦安は漁師町のため、寿司屋さんが多く点在していました。正福寺の参道には三八という催し物があり露店で賑わっていました。三八とは3日、8日の付く日が開催日です。
豊受神社から少し足を伸ばした今の市庁舎付近には、海楽園と言う干潟があり、夏になると海水浴客で賑わい、干潟では寿司ネタでもあるシャコやアサリが簡単にとれていたのが、記憶に残ります。1970年代になると、埋立地になり始めたのを思い出します。