「青べか物語」に登場の船宿「千本」 そのモデルになった吉野屋を現代に伝える
時代を超えて旧江戸川がとうとうと流れる。漁師町だった浦安の面影を色濃く残す川岸に船宿吉野屋(猫実)が建つ。吉野眞太朗さん(69)は吉野屋5代目だ。
青年作家だった山本周五郎は昭和初期、浦安で暮らした。その体験をもとに名作「青べか物語」を書いた。作品には船宿「千本」が登場する。モデルとなったのが吉野屋だ。「千本」とは吉野(奈良県)の千本桜にちなんだようだ。
「山本先生はうちの2階に半年ほど下宿していたんですよ」と笑顔で語る。
戦後、山本周五郎は浦安を訪れた。吉野屋で長太郎さん(4代目)と再会する。その昔、「長」と呼ばれた愛すべき少年は成長して日焼けした男となり、タオルでハチマキをしていた。長太郎さんは変貌した浦安を案内する。道がぬかるんでいた。長太郎さんは重い山本周五郎を背負って歩いていったという。
再会した山本周五郎と長太郎さんの写真が大切に保管されている。吉野さんは「この写真は吉野屋の宝物です」と笑顔を見せた。
少年時代から、釣り船に乗り、父親の長太郎さんに仕込まれた。18歳の頃には一人前になっていたという。長太郎さんは家族の間でもよく「ありがとう」といった。吉野さんもまた、「ありがとう」という言葉を大切にしている。
昭和40年代はハゼ釣りが人気だった。予約の電話がひっきりなしにかかってきた。釣り船に鍋を持ち込み、新鮮なハゼを天ぷらにしてアツアツをいただく。
「船上で食べると、おいしいですよ」
だが、東京湾は一時期、公害で汚染された。その後、環境対策が進み、豊かな海が復活した。
「東京湾はありがたい海です。魚種が多い。お客さんが魚を釣って喜び、また、やって来る。海と、魚がいればこの仕事は続く。生きていける」
吉野さんは工夫をこらす。高級魚、フグに着目し、漁場を探した。自ら処理の免許を取り、身や白子をすべて洗って釣り客に手渡している。
「フグ釣りは難しいが、人気がある。お客さんの中には『おれはフグしかやらない』という人もいる」
リレー船も考案した。午後1時に快速船で出船。夕方までシロギスを釣る。日が暮れると、アナゴの夜釣り。1日で2種類の釣りを楽しむことができる。
苦戦しているのが屋形船だ。新型コロナウイルスの影響でほとんど中止に追い込まれた。
「桜の季節は屋形船の稼ぎ時だが、キャンセルの電話が続いた。困ったもんです。早く終息してほしい」
かつて漁師町だった浦安は変貌した。遠浅の海は埋め立てられ、マンションが林立する。だが、船宿は健在だ。若手の船長も育っている。千葉、東京、埼玉や遠方からも釣り客がやってくる。若い女性も増えたという。
「浦安は東京に近い。立地条件が最高にいい。沖に出て潮風に吹かれて、おにぎりを食べると、味が違う。海釣りは楽しいですよ」と日焼けした顔で笑った。