合気道名人の元で修練 託された次世代の育成
平成の達人に会った。浦安市海楽のNPO法人養神館合気道龍の道場で、安藤毎夫代表(62)が若者二人を相手に稽古を行った。瞬時に投げ飛ばす。呼吸は乱れない。静かな笑みさえ浮かべている。小学生の門下生が驚嘆の声を上げた。「先生、すごい」
愛媛県で生まれた。少年時代は瀬戸内海で泳ぎ、近郊の山で遊んだ。徳島大学に進学。運命的に合気道と出合った。
合気道は合理的な体の運用によって体格や体力にかかわらず、強力な相手を制することができる。相手といたずらに強弱、優劣を競うことなく、精神性を重視するのが特徴だ。
安藤さんは大学の合気道部に入部して、稽古を始めた。体調が整い、小柄な体格に対するコンプレックスがなくなった。
大学卒業後、大阪市内の会社に就職した。だが、サラリーマン生活は性に合わなかった。人生に悩み、ニーチェの哲学書を読んだ。「自分の道を行け」という指針が胸に響いた。
「そうだ。合気道をやろう」と決心。退社して単身、上京する。養神館を立ち上げた伝説の名人、塩田剛三館長の内弟子となった。道場の寮に寝泊まりして修練に打ち込んだ。優れた先輩たちがいた。早く追いつきたい。夜もひとりで、黙々と基本動作を繰り返した。
ある日、安藤さんは塩田館長と相対した。館長には得意技がある。人差し指一本で相手の喉(のど)元を突く。目にもとまらぬ早業(はやわざ)だ。相手はもんどり打って倒れる。安藤さんは修練を積んだ結果、ある境地に達していた。恐怖心はなかった。
「先生が振り向きざま、ぱっと突いてきた。一瞬だけ、先生の指先がスローモーションのように、点、点、点……と見えたんです」
塩田館長は安藤さんが上達したことを察したようだ。「おまえ、名人、達人にならんか。ふたりでやろう」。特訓が始まった。
平成6年、塩田館長が死去した。墓参りに出かけた。翌日、神秘的な体験をする。霊魂が自宅に現れ、合気道に関する重要なことを伝えたという。
安藤さんは浦安市の公共施設で指導を始めた。門下生が増え、道場を開いた。東日本大震災が発生。被災したが、屈しない。普及活動にさらに力を入れ、第二道場を建て増した。門下生は幼児から80代まで約300人に達する
世界に視野を広げる。ロシア、イギリスなどを訪れて現地指導。浦安の道場では海外の門下生を受け入れている。妻のステファニーさん(南アフリカ出身)も内弟子だった。
「合気道を究めたい。合気道を理解し、志を抱く若者を指導者として育てていく。日本だけでなく、世界の合気道家が切磋琢磨(せっさたくま)して、次の世代につなげていけばと願っています」