私たちが暮らす浦安を歩いてみよう。小さな発見があるかもしれない。今回は当代島。秋の気配を感じる休日、歴史が刻まれた町を訪れた。
出発点は浦安橋。旧江戸川の堤防に沿って歩いていく。青い空。白い雲。涼しい川風が吹き渡る。快適だ。ジョギングや散歩を楽しむ市民が多い。屋形船や釣り船が川面に浮かぶ。
当代島水門跡が見えてきた。頑丈なコンクリート製。見上げるほどの高さだ。今は使用されていないが、往時の面影を残している。
周辺を散策する。慈悲地蔵尊が立っていた。由来が記してある。有縁無縁の霊魂が成仏することを祈念。地域の住民が不慮の災難にあわず、幸福な生活が営まれることを祈願して建立したという。近所の公園で遊ぶ子供たちを見守っているようだ。合掌。
◇船圦(ふないり)緑道
当代島の北部に緑豊かな小道が整備されていた。船圦緑道。清らかな水が流れている。
木陰のベンチに腰掛けていた年配の男性に声をかけた。
「昔はここに川があって、舟をいっぱい係留していた。江戸川を下って海に出て漁をしていた」と話す。
船圦川は全長550メートル。川幅12メートル。昭和48年に埋め立て工事が始まり、昭和52年に道路中央部に緑道を整備した。今は住民たちの憩いの場となっている。
さらに進む。善福寺に参拝した。墓地の一角に表示。田中十兵衛の墓―と記されている。江戸時代、当代島は耕作に不向きの土地だった。十兵衛は水路を開削し、農地を整備したという。
昼食は「ヒマラヤ食堂」(当代島3)へ。店名がいいではないか。ネパール人店長が笑顔で応対する。チキンビリヤニを注文。スパイスの香り高いドライカレーだ。もう一品。ネパールの人気料理というモモ。丸い餃子のよう。おいしい。
◇大鯨の御社(おやしろ)
稲荷神社に参拝した。江戸時代に流行した天然痘に霊験あらたかとして境内の小石をいただいて帰る参詣人が多かったと伝えられる。社殿の脇に「大鯨の御社はこちらの奥です」との表示。なんだろう。奥に進む。「大鯨」と刻まれた小さな石碑。由来が興味深い。
明治8年の実話。当代島の漁師、高梨源八と西脇清吉が夜明け前、舟に乗って漁に出た。葛西沖の洲で黒い大魚が暴れているのを発見した。大鯨だ。浅瀬に取り残されたようだ。大格闘の末、鯨を捕らえ、意気揚々、帰還。村中が大騒ぎとなった。大金を手にした二人は英雄扱いだ。仕事が手につかない。騒動に終止符を打つため、大鯨の碑を奉納したと伝えられる。
小さな発見。これだから、町歩きは楽しい。