うらやすの人(6) : 「ぐるっと!浦安 」パーソナリティーを7年 マルチ音楽タレント 洋一郎さん

うらやすの人(6): 浦安の”隠れた才能”を発掘

「ぐるっと!浦安 」パーソナリティーを7年

マルチ音楽タレント 洋一郎さん

 取材の打合せで落ち合った場所は、自宅近くのおさんぽバス「船圦停留所」前。すっかり葉が落ちた並木道の一角。「なんの変哲もない通りですが、何となく好きですネ」。浦安を生活の場にして7年、移り住んで5年。生まれ育った能登半島の、富山湾に面した小さな湊町と「同じ匂いがする」という。

最近のライブより(左が洋-郎さん)

最近のライブより(左が洋-郎さん)

◆作詞・作曲家、タレント、シンガーソングライター、ETC

 自身がパーソナリティーをつとめるケーブルテレビJ:COMの「ぐるっと!浦安」は、この手の番組としては長寿の7年間も続いている。ナビゲーターをつとめる月1回(平約)の「Uスタイル」公演は40回に近づき、そのクラシック版ともいうべき「URAYASUピュアクラシック」は6年前に始まり、計20回を超えた。
 浦安の多彩なアートの “隠れた才能” を見つけ支援する、地元密着型の音楽活動だ。
 名刺には作詞・作曲家、タレント、ボイストレーニング講師とある。これまでに生み出した作詞は3ケタ、作曲数は4ケタに及ぶ。
 俳優としての顔もあり、立川市のライブハウスでは、作曲家の服部良一氏(故人)をテーマにした舞台に2003年、06年、08年の3回、小野やすしらと共演した。

◆いきなりのオーデションで浦安住民に

 この “マルチ音楽タレント” のルーツは?

よういちろう 昭和52年5月、石川県能登町生まれ 平成5年4月、金沢市の辰己丘高校に進学。男子が県下で唯一音楽を学べる学校だった 平成8年4月、東京音楽大学音楽学科作曲専攻コースに進学 平成18年、J:COMのパーソナリティーに

よういちろう
昭和52年5月、石川県能登町生まれ
平成5年4月、金沢市の辰己丘高校に進学。男子が県下で唯一音楽を学べる学校だった
平成8年4月、東京音楽大学音楽学科作曲専攻コースに進学
平成18年、J:COMのパーソナリティーに

 石川県能豊町宇出津(うしつ)の出身。実家は時計店を経営。音楽に興味を抱いたのは保育園児のとき。小学校に入って「ピアノをやりたい」と両親にせがみ、1年後にはおもちゃだったピアノが、中古ながらホンモノのピアノに変わった。楽譜を求めて金沢市まで片道2時間半かけて通ったことも。
 29歳。東京音楽大学を卒業し、渋谷のライブハウスなどでアルバイトをする日々。そこに知人の音楽プロデューサーから「久しぶりに飲もうか」との誘いが入った。訪ねた先がJ:COM浦安。いきなりのオーデション、そしてなぜか合格。「ディズニーランドがある」としか知らなかった町が、「生活し、地元文化を育てていく町」に変わっていった。
 「いろいろなアートが隠れていて、それらは “点の存在” でした。でもあの人とこの人を結びつけると、こんなアートが生まれる‥という “面の楽しさ” を知り、それとともに仲間の輪も広がった」
 「一人ひとりはまだアーティストとして小さな存在です。でも、みんなが集まったら何かの力になれる。東日本大震災の後、復興イベントを呼びかけたら、Uスタイルの出場経験者が30組以上も集まった。募金額は272万余円にも」

◆浦安は故郷・能登半島の湊町の匂い

 浦安の元町界隈の風情が好きだという。漁師町の看板はなくなったが、田舎っぽいところがまだ残っていて、それが苦労を重ねて広がった浦安の歴史を感じさせ、能登半島の湊町をしのばせるようだ。
 「浦安ではまだまだ私は新参者です。許されるのなら、これからも少しずつ馴染んでいきたい」


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