東京湾のイカ網漁 漁具・漁法とも 江戸時代に浦安で発祥か?!

20日〜6月25日開催 郷土博物館企画展で紹介

 現在、東京湾で行われているイカ網漁は漁具・漁法とも江戸時代に浦安で発祥したとみられることが、浦安市郷土博物館の研究でわかった。同博物館はこの成果を、20日から6月25日まで開く企画展で紹介する。期間中、文献記録を20年がかりで調査した主任学芸員と、それに協力し裏付けた “最後のイカ網漁師” 岩瀬利夫さん(83)とのトークなどのイベントも開かれる。博物館では多くの市民や東京湾岸の住民に来場を呼びかけている。入場無料。

イカ網漁の再現模型

岩瀬さん(下)の証言でイカ網漁を模型で再現した

岩瀬利夫さん

“最後のイカ網漁師”岩瀬さん

 漁法が謎になっていたイカ網漁を調べて解明したのは、ともに主任学芸員の林奈都子さん(歴史担当)と尾上一明さん(民俗担当)。
 昨年、博物館が発刊した調査報告第九集「下総行徳領猟師種蠣記録」などの調査過程で浮上。江戸時代の資料を書き写した「芝浦漁業起立」(明治16年)には、イカ網漁が浦安から始まった新漁法だと記されている。
 それによると、享保17年(1732)5月、江戸の金杉町・本芝町・品川御林町・羽田漁師町と大森村・品川漁師町との間でイカ網漁をめぐりトラブルが発生。
 「作藻(イカ藻)」が海中にたくさん仕掛けられ、引網漁の金杉町の漁師たちは「邪魔なので新漁法を禁止して」と幕府に訴えた。この訴状に「作藻(略)漁法は近年堀江村と猫実村(浦安)が行うようになった」と記されている。
 また、平成元年、大田区史編さん室発行の史誌に発表された堀江俊次氏の論文でも浦安(猫実)発祥説が明らかになった。これによって、イカ網漁発祥は浦安というのが文献上は裏付けられた形。

文献記録を20年がかりで ”最後の漁師” が裏付け

 東京湾のイカ網漁は、天ぷらや寿司など江戸前料理に欠かせない食材、スミイカを狙った漁法で、昭和30年代初めまで千葉県側の海域を中心に盛んだった。
 問題はイカ網漁が半世紀以上前に浦安では中止になり、詳細な漁法が不明なこと。そんな折り、博物館ボランティアの紹介で “最後のイカ網漁師” 岩瀬さんの協力が得られたことが、今回の解明につながった。

 昭和30年代初めまでイカ網漁をやっていた岩瀬さんの証言に基づき、試行錯誤しながら1年かけてイカ網漁の再現模型(縮尺30分の1)、全体風景イラスト、漁の手順を説明したイラストパネルを制作。
 その結果、次のことがわかった。浦安のイカ網漁は肩幅4尺5寸(約1.35メートル)の小網船に、漁師3人が乗り込み行った。一隻が仕掛けるイカ藻の数は120個。陸地と並行方向に、40個ずつ3列に沈めるのが浦安の決まりだった。

 企画展の展示構成は次の通り。(1)東京湾のイカ (2)江戸時代、浦安から始まったイカ網漁 (3)イカ網漁とは (4)浦安のイカ藻とイカ網 (5)盛んだった浦安のイカ漁(以下略)。


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