江戸の浦安 漁業で豊か 貧しい漁村説くつがえる

 歴史のない町、記録のない町といわれる浦安。その江戸時代の一端を明らかにした報告書が浦安市郷土博物館から刊行された。三番瀬をめぐる漁場の出入(訴訟、争い)の生々しい記録など浦安の“歴史空白時代”を語ってくれる。学芸員と市民がコツコツと史料を集めて10年、やっと刊行にこぎつけた。

 報告書は、「下總行徳領獵師種蠣記録」―下総国葛飾郡堀江村漁業出入留書―を解読。原文とそれを現代風にアレンジした解説がついている。
 記録は国文学研究資料館祭魚洞文庫が所蔵している全180ページの文書で、江戸時代の安永7(1778)年~万延元(1860)年までの古文書全点が書き写されている。これを同博物館の主任学芸員、林奈都子さんが漁業関係資料の中から見つけ、博物館が撮影、保管していた。

山田彦一郎さん・泉澤慎吾さん

「報告書」について話す山田さん(右)と泉澤さん=博物館で

 平成19年の暮れ、入船の山田彦一郎さん(74)が「通信教育で古文書の解読を勉強、崩し字がある程度読めるようになったので浦安の古文書を読みたい」と博物館に問い合わせてきた。
 林さんが、「まだ活字化されていない史料がある。読み下す作業をお願いできますか」と協力を求めると承諾してくれた。2人で1年半がかりで解読作業を続けた。これが報告書を刊行するきっかけになった。

 その内容は堀江村、猫実村(当時)に関わる1778年~1860年までの古文書を書き写したものである。両村が関わった漁場、漁法、流通などの記録で、カキをめぐる争いも出てくる。
 三番瀬の漁場をめぐる堀江村と船橋村との出入、幕府の取り調べと審議、裁許、お触れ(法令)などの記述が詳細に紹介されている。
 猫実村は家康が駿府在城のときから貝漁御用を勤め、関東入国以来、「耳白蛤」(みみじろはまぐり)と呼ばれる殻の白いハマグリを幕府に納めてきた。100個中1、2個しかとれない珍しいハマグリで、そのことに由来して東京湾の漁村のなかでの権利を認められるようになった。
 浦安はかつて、「貧しい漁村」といわれていたが、実際は立地条件のよさ、海の恵みを漁師が直売するような形を可能にし、明治30年代に始まる海苔養殖が浦安の発展に拍車をかけた。「浦安は江戸から明治期にかけて発展、成長していく町であった」ことが今回確認された。

歴史の空白埋める報告書刊行

 林さん、山田さんの研究をさらに深めるため、平成22年5月、市民が参加して、「浦安・古文書読み解き隊」が結成された。
 最年長の泉澤慎吾さん(87)ら24人が参加、月2回のペースで勉強会を開いた。
 「漁業に関係した仕事をしてきたが、初めて知ることが多く、勉強会に出るのが楽しかった」(泉澤さん)
 「浦安には歴史がないといわれますがそうではありません。高潮による浸水、明治期に大火などの被害をたびたび受け、歴史を語る古文書が残ってなく、昔のことを知る手段がなかったのです」(林さん)。その空白の一端を今度の研究で埋めることができた。

 報告書は210ページ、A4判1500円。博物館内の売店で発売中。
(問)博物館(でんわ 047・305・4300)。


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